今朝、みんなを送り出してから2回目になるその本を読み始めました。
それは夫が機内で読むために購入した本で、おぎやはぎのラジオでどっちだったかが大号泣したと薦めていたらしく、彼らのことが大好きな夫は読みたくなったらしい。
(ちなみに「君の名は。」もそうだった。)
こんにちは、メリッサです。
この本を初めて読んだのは数ヶ月前のこと。
感情がうまくまとまらず、自分の中でモヤモヤ溜まってしまい、最終的に夫に八つ当たりっぽくぶつけて、しょうもない態度をとって終わってしまいました。
なんでモヤモヤしたのか。
何で私はこの本を読んで、何日も感情を引きずってしまったのか。
もう1度読んで、分かった気もするし全然分からないところもある。
だけどやっぱり最後は涙が止まらなかったので、もしかしたらまた夫に八つ当たりするのかもしれない。笑
Contents
君の膵臓をたべたいー住野よる
題名だけ聞くとグロさを感じるしなんのこっちゃなんだけど、読み終わってみるとすごく心に響く、尊敬や愛情やいろんな気持ちがこもった一言。
「君の膵臓をたべたい。」
それがこの本のタイトル。
私にもこんなふうに言ってくれる相手、伝えたいと思う相手がいるだろうか。
いや、いたとしたらきっと八つ当たりなんかしない。笑
ストーリー・あらすじ
クラスの人気者で友達も多いヒロイン(桜良)と、他人との繋がりを持たず友達を作らない僕。
正反対の2人をつなげたのは、桜良が書く共病文庫。
共病文庫には家族以外は誰も知らない病気のことが書いており、僕は彼女の余命がわずかであることを知る。
桜良は、死ぬまでにやりたいことを僕と一緒にするのだと言う。
桜良と出会ったことで、やりたいことを一緒にすることで、僕は自分が変わったことに気づく。
ほかの人間と関わり、人を認める人間に、愛する人間になろうと決意する。
そして彼女も、「初めて、私は、私自身として、必要とされてる。自分が、たった一人の私であると思えた。」と感じることができた。
誰とも関わらないことを選んできた僕に、初めて繋がりを持ちたいと思う相手に彼女が選ばれたことによって。
何に対して涙を流したのか
ちなみに夫は「なぜ読んだ人の大多数が最後に号泣するのかさっぱり分からない。」というような感想だった。
それは私に本を手渡したときの話で、
だからもちろん、私はあらすじも結末も知らない状態で、
「ふーん。」とだけ思ったのだけれど。
最初に読んだ後、私はもう本当にいわゆる「大号泣」状態。
子供の隣で読んでいたので「ママどうしたの?その本悲しいの?」と言われたほどだった。
(ちなみに私はテレビや本に感情移入し過ぎてよく泣いてしまうことがあるので、息子は多少慣れている。)
「読んだよ。」と夫に伝えると、「どうやった?」と言うので、
「大号泣やった。」というと彼は笑って驚いた。
「マジで?何で?どこに泣くん?」
夫は本を本のままでしか読まないので、これを読んで泣くことはないだろうなと知っている。
想像力がほかの男性よりも著しく欠如している夫。
行間を読むことも、背景をイメージすることも、沈黙の意味を考えることもしない。
ある意味潔いと言っていいほど。
私が泣いたと聞くと、
ヒロインが亡くなったことが、その突然さや原因が悲しいと思ったか、
ヒロインをなくしてしまった僕か親友か、あるいは母親に感情移入したと思ったかもしれない。
けど、実際のところはそのどれでもなく。
私は、こんなにも誰かに必要とされている、と感じられたことがない。
という事実を改めて認識させられて、突き付けられて、なんだか無性に寂しくなって泣いた。
私だって誰かに必要とされていると、自信を持ちたい。
子が親を必要とするのは保護者としてであり、自立してやっていける術を身につけるまでの存在でしかない。
そういう意味ではなくて。
お互いの欠点をお互いの取り柄で補い合うことによって、やっと1つのカタチになるような、そんな人に出会えていない自分に泣いた。笑
感情をつき動かされ、行き方について自らに問う
1日の価値は誰にも等しい。
もしかしたら、病気の彼女よりも先に、明日僕が死ぬかもしれないから。
確かにそうなんだよね。
私はこの後、子供のお迎えに出掛けて、横断歩道で車とぶつかって死ぬかもしれない。
自分がいつ死ぬかなんて、そんなこと誰にも分からない。
だから、いつ死んでも悔いのないようにとか、最期に笑って楽しかったって言えるようにとかっていうのは、平凡すぎる日常に埋もれてつい忘れてしまう。
どれも特別なことじゃないように感じてしまう。
死ぬまでにやりたいことってある?
それを今やってる?
もしかして明日死ぬかもしれないのに、私はそれをやってる?
やってない。
彼女の人生は短かったけど、自分が必要とされていると心から思えた。
それによって自分自身は、たった1人だけの人間だと実感できた。
私はそんな人と出会えた?
くっそ、桜良の倍以上生きてんのに。w
本を読んだあとに、これほどにまでに寂しくなるなんて、あんまりだ。
そして私は夫に八つ当たりしてしまったという訳。
アンタが必要なのは私自身じゃなくて、自分を見てくれる人だもんね。
あ、それは私も一緒だったか。
こんなにもグルグルと心をかき乱されるような本、他にも読んだことあったかな。
八つ当たりした理由
夫に八つ当たりしてしまった原因は、夫が私にあまり興味を持っていないからだと思う。
子供たちの母として妻としての私には多かれ少なかれあるんだろうけど。
今の私の性格や考え方は、生まれ育った環境や経験に基づいたもの。
もちろん夫と出会って15年、となると人生の半分近くの年数になるので、彼もまた私に大きな影響を与えているのだろうけど。
彼と一緒にいる時間以外の私だっていた。
それは紛れもないはずなのに、今はもう存在していなかったことになっている。
私が実両親と絶縁した理由、性被害に遭ったこと、学生時代に目指した夢、バックパッカー時代の経験。
それらがなければ今の私とは全く違うパーソナリティーだったはずなのに。
まるでなかったことになっていて、私が迷ったり新しいことに挑戦したいと思ったりフラッシュバックで苦しんでいたとしても興味がなくて、それは何も起こっていないのと同じ。
おぎやはぎが不特定多数に薦めた本は買って読むくせに、私が悩みに悩んだ頃に買った毒親についての本は「そうやってまた周りに流されて。」と笑って触ることすらなかった。
夫の親戚一同が夫の離婚再婚を知らなくて私の存在がないというのもまた、私の存在意義を薄めているのかもしれない。
もしも私が今居なくなって、明日新しい人がやってきても成り立ちそうな気がする。
なんだかこんなことを書くと、どんな夫婦なんだって思われそう。
誰かの人生の主要登場人物になること
私も僕ほど徹底してはいないけれど、どちらかというと人との繋がりは持たないというか持てない性格。
だからこそ、やはり人ときちんと向き合って関係を築いている人には憧れる。
誰かの人生の物語の、エキストラではなくて、友人ABでもなくて、キーパーソンとして関わるような存在。
それは私でなきゃいけない、という存在になれるだろうか。
母になったことは少なくとも子供にとって、私が存在しなければ生まれてこなかったという点においては影響を与えるんだろうけど。
自分の発した一言や、関係や、存在が、誰かの人生に影響を及ぼす。
どこかで蝶が羽ばたいたのが、今頬を撫でた風になるように?笑
私の存在はこれまでに、誰かの人生の登場人物になっているのだろうか。
あまりに過去を清算し過ぎて、自分の人生のキーパーソン(だったはずの人)すらすでに「そういえばそんな人もいた。」くらい名前を思い出すことも難しくなっている私。
そういうところから、まずは自分が変わっていかないとダメなんだろうね。
特に今の人間関係は打算的すぎるところがあるかもしれない。
《まとめ》自分が変わることで何かが変わるのか
本を読んだ後、その結末のさらにその後を想像してしまうことはよくある。
けれど、自分に置き換えて自分自身について考えさせられて、何日も引きずってしまうということはあまりない。
大切なのは外見じゃなくて中身でしょ?とか、後悔のないようにどんな風に生きるかとか、その他にもこの本を読んで考えるべき点は色々あるだろう。
私も誰かに必要とされたい、必要だと感じた相手にそう伝えられる自分になりたい。
そんな風に、少女漫画読んでそのハッピーエンドに憧れる10代の女子のように感傷に浸ってしまい、
そしてもうそんな年じゃないってことも思い出して、
これまでの出会いとか経験とかの意味を振り返って、自分の存在が無意味に思えて泣けた。
これから先私が変わることによって、そんな相手と出会えるのだろうか?(恋愛対象という意味ではなく)
あるいは夫がその相手になるのか、お互いになくてはならない存在になるのか。
今のところ分からない。
まずは私がもっと夫に興味を持ってみよう。
想像力があまりにも欠如している夫にはあまり期待し過ぎず、私が彼に諦めずに伝えたいと思えるくらいに近寄ってみよう。
手始めにもう1冊、夫が読んでみてという本を読むことにする。