考えや感情を言葉にできない私~毒親育ちの思い出に原点がありました

こんにちは、メリッサです。

あなたは過去をじっくり振り返ることがありますか?

私は先日、毒親から抜け出すまでの話を書いたのですが、そのときに色んな記憶を1つずつ丁寧に思い出すということをしました。

この記事では大まかな流れに焦点を絞り、詳細は語らなかったのですが。

過去を読み返して、そのときの自分の感情を思い出したり、一緒にいた人の感情を想像してみるという作業は、とてもとても疲れました。

精神的にその当時のしんどかったころに戻ってしまって、不安定になってしまう。

一見忘れた風に過ごしている方が楽なんです。

だけど歪みが少しずつ大きくなって、忘れた風を装うことすら無理なときがいつかきっと来るだろうから、今回はちゃんと向き合ってみようと時間を掛けました。

すると、本当に忘れかけていたことや思い出さない方が良かったかもと思えるようなことまで出てきてしまい…。

実は夫婦の危機にも繋がりました。

でも今やる必要がある気がして。

私が私をもっと「このままの私で良い」と思ってあげるために、必要な作業なはずです。

まずは私が辛かったこと、本当はどうして欲しかったのかを、思い出して。

どんなことの積み重ねが毒親だと思ったのか、振り返ってみると、私が思いを言葉にできない原因に繋がりました。

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毒親育ち~しがらみの渦中 好かれたいと願った子供時代

私は3人兄弟の真ん中に生まれました。

サラリーマンの父と専業主婦の母と1つ上の姉と2つ下の弟、神戸の端っこ(ド田舎)の住宅街で育ちました。

旅行にもたくさん連れていってもらったし、クリスマスにはサンタさんがプレゼントを持ってきてくれました。(なんと中2まで!!)

習い事もたくさんさせてもらいました。小学生の一番忙しいときは週5。

今の私が作るものより何倍も凝ったご飯を食べさせてもらったし、私の分だけ別に貧相なメニューだったわけでもない。(むしろ姉弟の誰よりも私はよく食べた。)

小1で右腕を骨折したときは毎晩母とお風呂に一緒に入ってリハビリしたし、アトピーが酷かったころ(小4・5くらい)は一緒の布団で寝て、かきむしると悪化するので痒いと言えばさすってくれた。

人が聞けば「とても大切に育ててもらったじゃない。」って言われそうなくらいだと、自分でも思う。

同じようなことを我が子にしてあげたくても、それほどの経済力が今の私にはないし、堪え性もない。

それなのに何が、どうして毒親だと思うようになってしまったんでしょうね。

両親が大好きだったころの思い出

どんな親でも何をされても、最初はあの人達が大好きだったはずなんです。

子供の頃の記憶はひどく断片的で、ぽっかりと抜け落ちているところもあるのですが、反対に昨日のことのように鮮明に思い出すことがいくつかあります。

母が笑うと嬉しかった、小さなころの記憶

一番小さいときの記憶は、2・3歳のころ。

居間から庭へ続く掃き出し窓の外に、バケツが置いてあって、その中に入って遊んでいました。(我が子もタブトラッグスが好きでよく遊んでいる。)

しゃがんで座ったり、出たりを繰り返す。

そのうちお尻を入れて座ると、おもしろいと母が笑いました。

最初のうちはすぐに抜けたけど、お尻が入り過ぎると立てなくなって。

「え、え、え~~~!!」

と出られなくなって半泣きで慌てていると、もう母は大爆笑。

「カメラ持ってくるから、ちょっと待っとき!」と笑ながら奥の部屋に行ってしまいました。

母がカメラを持ってくるまでの間に、私のお尻はバケツから抜けて自由に動けるようになります。

だけど、さっきのあの母の大爆笑をずっと見ていたくて。

戻ってきた母が写真を撮り終えるまで、私はお尻が抜けないフリを続けました。

そして腕を掴んでバケツから引っ張り出してもらって、「あ~ビックリした~」と言うと、「すごく可笑しかった~ww」とまた笑ってくれました。

母が喜んでくれるのが嬉しくて、子供の頃の私は家ではひょうきんな子。

島田珠代のモノマネめっちゃしてました!

「大きくなったら吉本行け。」って、よく父に言われていたな。笑

母に好かれたかった私、もう1つの思い出

私もあの頃は健気だったなって苦笑いしてしまう、母に好かれたいと思っていたことが分かるエピソードをもう1つ。

小3くらいの母の日に、お小遣いをためて髪留めをプレゼントしました。

当時のお小遣いは月数十円で、お手伝いをしたらその分もらえるシステムだったかな。

ビーズやパールがついた600円くらいの小さな髪留めで、「お母さんにめっちゃ似合いそう!」と思って、予算をオーバーしてたけどきっと喜んでくれると思い切って買ったんです。

当日、母は「あんまりこういうの使わないんだけどね。」と意外だという顔をしてました。

その後にまじまじと髪留めを観察し、「パールは外れやすいから、こうやってワイヤーでちゃんと留めてあるのを選んで正解よ。」って褒めてくれました。

母はこだわりが強かったので、その母に自分の選んだものが褒められてすごく鼻が高かった。

大して喜ばれはしなかったけど、私は充分満足でした。

翌日は使ってくれたような気もします。

だけど「お母さん、今日もつけてないな。」という日が続いて、どこにしまったの?って聞いたりつけてとお願いしたりしても、もうどこにあるのか分からなかった。

1年後くらいにソファーを処分することになって、動かしたら、その下から埃まみれになって出てきた髪留め。

その頃にはもう、母は髪を短く切っていました。

子供たちから何かプレゼントされる度、この出来事を思い出します。

違和感、居心地が悪い家

私が「この家は居心地が悪い。」と自覚したのは、小学校5年生の頃でしょうか。

それまで「?」と思うことがあっても、好かれたい気持ちの方が強くて気が付かないフリしてたけど、もう我慢ができなくなったという感じ

家の中に自分が存在していることが申し訳ないような気持ち。

自分が家族に加わることで、スムーズに動いていた歯車がズレてしまう感じ。

具体的に何がと尋ねられるとうまく説明できないのだけど、なんとなく居場所がない。

小さな違和感は少しずつ大きくなっていきました。

成績優秀で何でもそつなくこなせる姉と、待望の息子で要領のいい弟と、いつも比べられて怒られました。

この頃はすでに息苦しさの原因は母にあると認識していて、友達の家に遊びに行くと自分の家に帰りたくなくて、友達の家を出てからも真っすぐ帰らずいつも門限を破っていました。

悪事を働くのはいつも私

3人姉弟で悪さをするのはいつも私でした。

隠れて買い食いして財布を取り上げられるのも私だし、門限を破るのも私。家出するのも私。

小2のときに万引きして、母を泣かせたこともある。

そりゃ怒られて当然ってことも沢山しました。

当時の私は、何で買い食いしないんだろう?門限破らずに帰ってこれるんだろう?と他の2人を不思議に思ってたなぁ。

もちろん姉も弟も万引きなんてしたことない。(はず。)

姉弟げんかもしょっちゅうしてたし、それは口喧嘩だけで済むはずもなく、髪の引っ張り合いや殴り合いも多かった。

そういえば姉との喧嘩中に包丁を持とうとして「武器を持つなんて卑怯、素手でやりなさい。」と、母に叱られたこともあったな。

あまりにも喧嘩が多いので、一度父に「本気で殴り合って、誰が1位か決めろ。それでもう最後。」って言われて、言われた通りに本気で2人をボコボコにしたら呆れられたこともあった。

とにかく、両親の悩みの種、厄介者、困った子といえば私。

バレたら絶対に叱られると分かっていたはずです。

それでも自分が止められなかった、危ない子?

悪いことをしている自覚があったから、罪悪感で肩身が狭かったのかな。

怒られて私の心に残るのは痛み

母に呼ばれて、向き合って正座をして、説教が始まるとそれは毎回1時間や2時間で終わりません。

母が話し続けると、途中で意識がどっかへ逃避して、いつしか母が何を怒っているのか分からなくなる。

目を逸らしたら、「話をしているときはちゃんと目を見なさい!」ってまた怒られるから、いつも私は母の顔を見る。

何で怒られてたんだっけ?

まいいや、きっともうすぐ終わる。

そのうち「あぁこの人はいつもこの顔で怒る。シミがたくさんあって、前歯の間に金歯があって、おかしな顔している。」ってぼーっと見入ってしまう。

すると「ちゃんと聞いてた?何考えてるの?」って火に油を注いでしまって、最終的に灸(やいと)を据えられた。

頬やお尻を叩かれて済む日はラッキー。

何度か眼球が出血したけど大したことじゃない、痛みは叩かれたそのときだけで終わる。

母は例え話でなく、文字通りの灸を据えた。

いつも左手の中指を曲げたところで、鉛筆を持つとちょうど当たるところに水膨れができた。(私は左利き)

指の火傷が治っていないと右手、治ればまただった。

それか「根性叩き直すために走ってこい!」って言われて、暗い夜に町内を何周も走らされた。

暗くて怖いし、走るのはしんどいし、翌日学校で「また走ってたなw」ってクラスメイトに見られていたりするともう最悪。

灸も走るのも、私一人だけというわけじゃない。

だけど回数は断然多かったはず。それだけ悪さしてたってことなんだろうだけど。

それだけじゃなくて、私には何でそんなに怒られなければならないことなのかが理解できず、納得していないのに口先だけで謝るということができませんでした。

反省してない!!と怒りをさらに倍増させる顔で、母を見ていたんだと思います。

謝れない私

この頃から私は誰かに何か強く言われると、感情がマーブル模様の絵のように渦巻き、言葉に表すことができません。

責められると気持ちの蓋が勝手に閉じて、その場にいて話も聞いてるんだけど、耳を素通りしているだけ。

何か言われても「だから何?」としか思ってなくて、謝罪の気持ちはまるでない。

ただ、ぐるぐるとモヤモヤした気持ちだけが存在していて、言葉で説明できない。

自分の感情と道理がきちんと繋がったら素直に「ごめん。」と思うし、伝えることもできます。

だけど、1㎜も思っていないときにいくら責められても謝ることができない。

頭で分かっていても、口が動こうとしない。

「今何を思ってるのか、黙ってないで素直にそのまま言ってごらん。」と母に言われて、「ドロドロで、でろーんとして、黄色や紫が混じった感じ。」と言うと、「意味が分からん!」と更に怒りをヒートアップさせてしまったことがあった。

次にまた本当に思っていることを言うと、もっと怒られてもっと痛い目に合うかもしれない。

だったらなるべく考えたり感じたりしない方が良い、と判断したのかな。

なのに口先だけで謝れない辺りが頑固で不器用だよね

頭の中を瞬時に正しく言葉にするのが難しい

叱られているときに限らず、今でも私は頭の中で考えていること・思っていることを言葉に直すことがとても難しくて、瞬時にできません。

書くときはじっくりと時間を掛けられるし、間違えれば訂正も書き直しもできる。(実際1記事書くのに数日掛かってます。汗)

だけど人と話をしているときって、一度口から出てしまうと無かったことに出来ない。

焦って言葉にしたら、その直後に「うーん、思ってたニュアンスと違う言葉になってしまった…。」と後悔する。

緊張する場面では誤解を与えたくないという思いから、余計に言葉選びが慎重になって、発言するまでに時間が掛かってしまって、その間に周りの話は進んでいて。

結局発言できないまま終わってしまうことも、しばしばある。

人見知り?

私はずっと自分を人見知りだと思っていたけど、たぶん違う。

人との出会いは大好きだけど、口ベタだから、初対面の人と会話が盛り上がらないときの気まずさに苦手意識があったんだと思う。

今はもう仕方ないと思っているので、盛り上がらなければそのまま会話終了して突っ立ってる。笑

あと相手の気持ちを考え過ぎて、疲れちゃうのよね。

ふとした視線の動きとか、言葉のニュアンス、表情で、裏の気持ちまで読み取れてしまう。

だから一人の方が気楽、人間関係は最低限で良いと思ってしまう。

あれ?これを人見知りっていうのか?

分かんなくなってきた。笑

相手が話上手だったり、お互いに共通点があったりすると、楽しいし盛り上がります。

そんなときは大抵、相性も良い。

前職の面接官には「どうしようか迷ったけど、面接したときに笑ったし楽しかったから、社内が明るくなると思って採用した。人見知りなんて絶対にありえない!!」と言ってもらったことがある。

その方が話好きの楽しい方だったから盛り上がったのですが、その評価は信じることにしよう。

《まとめ》子供の頃の私を今の私が抱きしめてあげる

なんだか話が逸れてしまったので、まとめることにします。笑

今回は、両親が大好きで、両親に好かれたいと思っていたけど、その気持ちが満たされなかった頃の話でした。

「好きなのに。ちぇーっ!」って、いじけて悪さばっかりしてたのかな。

「そのままの自分で良い。」と心から思えるようになるためには、このときの気持ちをちゃんと癒してあげないといけないように感じています。

子供の頃、好かれたいと願って届かなかった思いは、今の私が代わりに受け取って、ちゃんと好きになってあげよう。

たくさん抱きしめてあげよう。

「どんな考え方でも、人と違う意見を持っていても、人間みんな違って当たり前、それでいいのよ。」って自信を持てれば、下手くそでも思いを言葉にすることが怖くなるはず。

今もそんな風に思ってはいるのだけど、まだ自信が少し足りない。

文章を書くことは、リハビリにすごく良い効果がありそう。

過去の振り返り作業をゆっくり続けて、最終的には自信を持てるようになります!

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