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です。(2017年6月現在)
突然ランキングから始めてしまって、すみません。
こんにちは、メリッサです。
毒親育ちをきっかけに記憶の整理をしていて、どうしても避けて通れない出来事があります。
私は小2から実家を出て一人暮らしを始めるまでの間、何度となく性犯罪の被害にあいました。
どうしてもこれと直結させて考えてしまうのが、私が夫の愛情表現に積極的になれないこと、歓迎できないことの原因がこの辺にあるのでは?ということです。
私は愛が何なのか、愛している、愛されている実感、とにかく愛に関するものが欠落しているように見えるらしい。(by 夫)
毒親育ちに原因があるのか、性被害に原因があるのか、どちらにもあるのか、それ以外にもあるのか。
性的なことへの嫌悪感や不潔と思ってしまう気持ちを探るために、とにかく、この辺の記憶について掘り下げようと思いました。
前記事の冒頭で書いた、夫婦の危機も招いたほどの事態でした。
Contents
過去の記憶に性嫌悪の原因を探る
人気の記事で紹介したセックスレスの原因は、出産直後のまだ赤ちゃんが夜も数時間おきに起きる時期の話。
今は末の娘も2歳の誕生日を迎えましたので、状況は全然違っています。
にもかかわらず、私は今でも歓迎できない心理状態が続いています。
(ちなみに、具体的な数字は控えますが、産後ずっとレスが続いてるわけではないです。)
まぁ正直に告白すると、子作りじゃなけりゃ、これまでの人生で喜んで自らしたいと思うことなんてありませんでした。
うむ、これも厳密に言うと正直じゃないな。
行為をすっ飛ばして妊娠する方法があったならば、私は積極的にそちらを選択していたはずです。
(もちろん、夫の強烈な反対があって実現しなかったでしょうけど。)
夫婦継続の危機
私からの愛情表現はあまりに消極的で、夫には物足りなくて、挙げ句誘ってみても歓迎されないということで、「夫婦でいる意味なくない?」という結論になったそうです。
ちなみに私が愛情表現だと思っていたことは、
- 収入や家族の時間を増やすより、夫が選んだ仕事を尊重
- 夫が夫自身のために過ごす時間も尊重
- 子供たちはもちろん、年上の夫の健康を重視
- 自分の人生の選択肢を夫や家族ありきで考えてきた
- それを我慢や悲観的に思ったことはなくて、今の立場の私だからこそできることがあると心から思える
もうぶっちゃけ言うと、給料が増えてボーナスのあるサラリーマンにいっそ転職して欲しいと思うこともありました。
だけど彼がその仕事を自分で選んでしていることを知った上で結婚したわけだし、何よりやりたいと思ってやってることなら応援したい。
そう思っているので、口に出したことは一度もありません。
給料が増えないなら私が働けばいい。
ずっと母子家庭のようだと感じていたけど、それも仕方ない。
帰ってこない日が続くから、私1人で出来る方法を考える。
独身の頃の私にはやりたいことがあったけど、結婚や出産を経てその形が変わっていくのは当然です。
それは選択肢が減るのではなく、新しい選択肢が増えるということ。
悲観的になっているわけではなくて、むしろやりがいを感じる。
言っても夫を傷付けるだけでどうしようもないこと、「それを言っちゃおしまいヨ。」なことを、私は絶対に言わない。(夫は言うのでその度に死にたくなるほど傷付いているけど。)
不満や意見が合わないことがあっても、変わって欲しいわけじゃない。
彼と夫婦である以上、彼が変わらないところは私が合わせるしかなくて、どんどん似てくるのもまた夫婦らしくていいじゃないかと思ってる。
恋愛感情はもうとっくにない。
そもそも私に恋愛感情があったと言えるのかどうかも微妙だけど、相手を大切に思う気持ちはずっとあります。
夫婦として家族としてやっていくために努力し続けることが、夫や夫のやりたいを尊重しながら家庭を維持することが、私にとって最大の愛情表現だった。
届いてなかった。
夫に必要な愛情表現
彼に必要な愛情表現は、愛しているの言葉と、態度と、行為。
態度はともかく、言葉と行為が随分少ないことは事実ね。
言葉にいたってはほぼ0。というか0。
「というよりも、愛してるがどういうことか分かんないので、言えない。」
謝るときと同じで、思ってもいないことを口先だけで言うことがどうしてもできない。
夫へだけでなく、それは子供に対しても。
ねぇ、愛してるってどんな状態?
大好きは言える。
子供たちに毎日大好きと言ってしまう。我慢できない。笑
何がどう違うの?
足りない会話、話せない気持ち
それと、会話。
夫婦の会話。
子供たちの話ばかりで、私が自分のことを話さないことが、とても不満だそう。
結婚9年目になるので、私が思っていることを言葉にするのが難しいことも彼は知っているし、話そうと言葉を探していると待ってくれるのだけど。
「何を考えているのか、どう思ったのか、言え。言え。言って。」
と強いられて、すごく悩んで考えて一生懸命に言葉を絞り出しても、例えそれが彼を責めるつもりの発言じゃなくても、私が何か一言発すると、
「はい、お前言ったね。なら俺も言わせてもらうよ。」とばかりに、100倍返しがくる。
「何で今それ持ちだしてくるの?」という、それだけは言われたくないところを彼は口撃してくる。
それが分かってるので、自分のことは特に話したくない。
私の感情や考えや思ったことを、話したくない。
口論しているときだけでなく、普段から。
否定されて、口撃のきっかけにされて、これ以上もう傷付きたくない。
喪失
そんな話し合いがあって(実際のところ、私の発言はほぼないので夫の考えを聞いていた。)、
それは過去の記憶を掘り下げる作業の途中の出来事で、私が精神的にとても不安定な時期だったこともあり、数日後に壊れた。
私は夫の求める「愛」が今はまだ分からないので、私にできる愛情表現を精一杯してきたつもりだったのだけど、それが何1つ届いていなかったと分かった。
もう頑張れない。
これ以上は頑張れない。
もっと頑張らなきゃいけないと言うなら、私には無理だ。
何でもないときに涙が出て止まらなくなって、無気力になって、「あぁ、やっぱり私が家族を持つことは相応しくなかった。」と思った。
夫に、もうこれ以上は頑張れないと伝えた。
今後も夫婦としてやっていくなら
頑張って欲しいわけじゃない、発言が苦手なことも知っている、もっと理解してくれる人ならその人と一緒になった方がいいかもと思った(出会いを探していると勝手に誤解していたらしい。後から聞いた。)、とにかく、夫婦としてやっていくなら愛情表現をもっと増やしてほしい、というようなことを夫は言った。
愛情表現かぁ。
だからさ、私の精一杯の愛情表現は届いていなかったんだよね?
そうじゃなくて、言葉と態度と行為をってことですよね…。
溜め息。
難しい。
何でこんなに気持ちが重たく感じるんだろう。
「愛してる」なんて中身がなけりゃ、何度言ったって意味ないのに。
それよりも、今のあなたとずっと一緒に平穏な生活を続けるために尽力することの方が、よほど大きな愛情表現だと私は思うのだけれど。
行為なんて好きじゃなくてもできることなのに、好きな人に求められて応えることが何で私にはこんなに難しいんだろう。
過去の経験に原因を探す
冒頭の話に戻るけど、私は小2から何度となく性犯罪の被害に遭っている。
もちろん、小2の私は知識もなければ何のためにそういうことをするのかも分からず、ただ気持ち悪いことをされた、気持ち悪い人がいる、というくらいの認識だった。
当時の私は母がハサミで短く切り揃えただけの髪型で、よく男の子に間違われていたので余計に性的なイメージはなくて。
週1で通っていた眼科での出来事で、母は私を病院の前で車から降ろすと、少し離れたスーパーに買い物を済ませてから、会計後に戻ってくる。
帰り道の車で、母に気持ちの悪いお兄さんがいたことを伝えたのだけど、だから1人で眼科に行きたくないと言ったのだけど、翌週も病院前で車を降ろし、母は買い物に行ってしまった。
またそのお兄さんがニヤニヤ近づいてきたから、小声で「やめて。」と言うと「ごめんね、誰にも言わないでね。」と少し離れた席に行った。
それ以降、何かされても両親には言わなかった。
言っても何も変わらないと分かっていたし、大きくなるにつれて何をされたか理解すると余計に言えなかった。
さすがに家の目の前で暴漢に襲われたときは、私の悲鳴で父や母が外に飛び出してきたけれど。
それでもやはり、何も変わらなかった。
家の前で大きな声を出したから、隣の家の人まで出てきて何事かと聞かれてしまったじゃないか、と言われた。
駅から家までの長く暗い夜道も、迎えに来てくれることはほとんどありませんでした。
経験によって染み付いた嫌悪感
さらにありがち(?)なんですけど、両親の行為にもトラウマがあるかもと考えています。
同じ部屋に寝ていて、ふと夜中に目を覚ますと…というやつです。
何をしているのか分からなかった年頃から、分かったときの、親への「うわ、不潔!!!最悪!!!」という感情は決して消えないんですよね。
そう感じたことを実際に自分がやる、というのは、抵抗がすごく大きくても仕方がないと思います。
私が経験を重ねて学んだことは、力で性欲を満たそうとする男性がいるということ、行為そのものは愛の証なんかではないということ。
そして、世間にバレてはいけない不潔で恥ずかしいことをされた自分。
守ってくれない両親は、それもそのはず、不潔な行為を娘の隣でしていました。
好きな人ができても、男性が体に触れたいと思う気持ちが、痴漢の気持ちとどこが違うのか私には分からない。
触られても嬉しくない。
相手が妻ならいつでもどこでも触っていいことになっているのが、何故なのか今でも理解できないのだけど、相手のことが好きだったら嬉しく思わないといけないのだろうか?
朝ご飯作りながらお弁当を詰めているときにお尻を触られて「邪魔しないで!」と言うことの、何がそんなにも酷いのか分からないのだけど。
世の中の女性は、みんな夫に触られていつでも本当に喜んでるの?
喜んで受け入れなきゃいけないの?
子供が欲しい>>>嫌悪感のときもありました
こんなことを言うと、何で結婚したの?何で4人も子供産んだの?と疑問に思う方もいるかもしれません。
恋愛関係にあるときのドキドキ>>>性に対する嫌悪感
好かれたい、思いに応えたい気持ち>>>嫌悪感
子供が欲しい、家族が欲しいと思う気持ち>>>嫌悪感
嫌悪感よりもポジティブなイメージが大きいときは、大丈夫だったんです。
もう好かれたいと思っていないという意味でもないですよ。
汚らわしい行為の結果に子供ができたという風には思っていない、はずです。多分。
でもそんな風に扱われている風潮もありません?
《まとめ》決意
もう何が正常で、何がおかしいのか、自分でも分からなくなってきた…。(-“-;)
とにかく、過去の振り返りをしていて私がまず思ったことは、両親に守ってもらいたかったということです。
変な人に遭遇してしまった事実は変えられない。
だけど、その後の対応で、気の持ち様は幾分変わったんじゃないかなと思ったり。
最初の1回だけで終わっていたら、今こんな感じじゃなかったかもと思ったり。
まぁ今どれだけタラレバを並べたって、仕方がないんだけど。
そこで私が今からできることを考えてみようと思います。
- 男性が皆、同じではないと知ること
- 娘が同じ経験をしないように
- 息子が女性を苦しめる人にならないように
いつまでも過去を引きずって、囚われているせいで今の幸せが壊れてしまうことは、望ましくありません。
二次被害というか、その時受けた傷だけで済まずにずっと苦しみ続けるのではなくて、経験を糧にして誰かの役に立つ、くらいになれなきゃ悔しい。
男性の性欲を満たすためだけの行為ではない、というのは、どうすれば実感できるでしょうね。
本当に好き同士でなければできないことであれば良かったのに、そうではないということもまた事実として存在するから、余計にややこしい。
性的ではない、つまり胸やお尻を触られたり、ネチッこいチューをされたりするのでなければ、スキンシップが全然嫌ではないんです。
ハグも、隣に寝ることも、よしよしされたりすることも本来は嫌ではないのに、全ての延長線上に行為が存在するかと思うと、夫のスイッチを押してしまいかねないと思うと、途端全部が「無理!!!」となってしまう。
直結しないスキンシップはないの?
え、夫だけ?(汗)
嫌悪感がぬぐい切れないうちに相手の気持ちを優先し続けた結果、さらに嫌悪感が増してしまった感じはあります。
全ての事情を知っている夫には、せめて気持ちが少し上向きに変わるまで待ってほしいと期待してしまいました。
相手にばかり求め過ぎて、歩み寄って欲しいと言いながら自分は変わっていなかった、というのでは良くないですよね。
性的なことへの嫌悪感をどうすれば解消できるのか、積極的に解消を目指して試行錯誤しようと思います。