こんにちは、メリッサです。
今日は私が初めてインターネットから外の世界(つまり現実)に飛び出して人に会ったときのお話。
これまでの私は、ネット上だけで人と交流してきました。
読者から頂いたコメントでやり取りしたり、TwitterのDMやメールで質問や相談に応えたり、感想をTwitterでシェアしていただいたり。
だけど「手に職つけたい!仕事を盛り上げたい!」という思いをこの記事に書いて、同じ志を持つ人と現実でも繋がりを持ちたいと思うようになって。
今回はそこからトントン拍子で話が進んで、実際に会ってお話できることになりました。
そのとき色々お喋りしたのだけど、聞いたお話がすごく勉強になったことも確かなのだけど。
それ以上に!
現実で交流して人と話して…という一連の過程を経て、私の中に大きな変化が起こりました。
- 人との交流に尻込みしてしまう
- 何かを変えたいのに一歩目を踏み出せない
- 自分の変化を心のどこかでビビっちゃう
そんなあなたの背中を押せるように、今回の体験を経て私の身に起こった変化をシェアします。
Contents
引き寄せられた出会い、私の嬉しい変化と気付き
私が今回初めてネットから離れて実際にお会いすることになった、かおらべさん。
現在は二児の母でもあり、エンジニアとしての経歴をお持ちで今後はフリーランスか会社員かどちらにしても自分のペースで学びながら仕事したいと活動中です。
ITスキルは私の目指すところですし、人に会いに行く・人と人を繋ぐことに積極的なのはまさに私に足りないところ!
かおらべさんってこんな人
ゆるくたらくを追求するリケジョ。息子2人(小2,年長)にIT教育を実践。IT技術(アプリ開発/Web/インフラ)と文具・手帳を偏愛。
自分にとってちょうどいいバランスではたらくことを目指すブログ『ゆるはた』を運営中。大好きな手帳のお話は、かおらべ節が満載です!
共通点もたくさんあって、会うなり濃い話題からスタートしました。
そのときの話はかおらべさんが記事にまとめて下さっているので是非。
ネットを飛び出して会うことになった理由
今までの私ならfacebookやTwitterでやり取りをして終了だったはず。
それが今回は「いいですね!会いましょう!いつにしましょう!どこにしましょう!」って次々に現実に会う段取りが決まっていって、明石海峡大橋を眺めながら一緒に美味しいピザを頂きました♡(↑写真の。)
不思議ですよね、何でなのかその理由を考えてみました。
1つはかおらべさんが積極的に会いに行くひと、というのは確かだと思います。
聞いた話やブログから、お仕事や家庭以外で人に会って関わっていることが分かります。
もう1つは私のタイミング。
3月に夫にパソコンが欲しいと打ち明けて、そこで初めてサイト運営から仕事に繋げていきたいという話をし、実際にパソコンを手に入れてからはwebデザインやフリーランスで仕事するための勉強を始めました。
その一環で参加したオンライングループで、かおらべさんと出会いました。
事前にネットで知ったプロフィールはお互いほんの僅かだったけど、「動きたい、でもどう動けばいいか分からない。」と迷う私の背中を押すには十分な共通点があったことが大きいと思います
- 遠すぎると現実的に無理。(一応主婦&母ですから。)
- 異性だと変な壁作っちゃう。(夫にも浮気?って疑われそうw)
- ハタチやそこらの女性と話が弾む気がしない。(←思い込み)
こんな頭ガチガチの私でしたが、神戸に住む同い年のママブロガーだと聞くと全部まるっとクリアですよね。笑
出会いのタイミング
人との出会いに意味はあると思いますか?
私はあると考えます。
そのタイミングでその人に会ったからこそ、響く。
今回かおらべさんに会った意味は「1つの本と再会するためだったのかな」と感じています。
(もちろんそれだけって意味じゃない。)
私たちは、会うまで知らなかったのですが、お互い『毒親育ち』という共通点がありました。
毒親って何?
虐待・育児放棄・過保護など子供の心身の成長に負の影響を与える親のこと。
スーザン・フォワード氏著の毒になる親 一生苦しむ子供という本の名前に由来する。
この言葉自体が認知されたのはここ数年の話ですが、その存在はずっと昔からあったと言われています。
私は毒親育ちであることがコンプレックスだった
私は感情や思っていることを表現するのがとても苦手で、口に出した途端に「あ、今の違う。思ってたのはそういう意味じゃない。」と感じることも多いです。
(だけど自分で納得いくまで推敲できるので、文章を書くことはとても好き。)
些細なことでも指摘を受けると、自分全部を否定された気持ちになってしまう。
最終的に、やっぱり自分はいない方が良いんだ…っていうところに帰結してしまう。
自己肯定感が著しく低いんですね。
真逆の夫と話をしていると、今自分が何を責められているのか途中から思考停止してしまって最終的に「何か言いたいことないの?」と言われても本当に頭の中がグルグルで「ない。」としか言えない状況になることが多々あります。
話せないことが重なって「もう夫婦でいる意味なくない?」と言われたこともあります。(かおらべさんと会う数日前の話。笑)
だからといって、30年以上こんな風に生きてきた性格を簡単には変えられそうにありません。
でも今の自分が母親だと、毒親育ちの生き辛さを子供たちにも味わわせてしまう、繰り返しちゃダメ!という、いわば強迫観念みたいなものに縛られていた私。
そんな感情がピークだった私にかおらべさんが読んだと紹介してくれた本が、インナーマザーでした。
『インナーマザー』という本
かおらべさんと別れ子供たちのお迎えを済ませて帰宅して、すぐに本を手に取りました。
そうです、以前も読んだことのある本でした。
当時もちょうど、夫に人格を否定されて毒親育ちにありがちな「もう消えてしまいたい」思考に陥っていて。
私は普段思っていることを話しません。
例えば、子供たちにあった出来事を報告したりはしますが、そこで起こったことに対しての自分の意見や感想は抜きで話します。
夫は言えというのですが、言ったら文句が返ってくることは分かっています。
少し自分と意見がずれていると傷つく言葉をわざと選んで100倍返しするんです。(これは自覚があるそうです。)
だから余計に言えないことが増える。
言えといわれても言えない。
言わないと言わないことにまた文句を言われて終いには人格全否定、というのが私たち夫婦の諍いフルコース。
この「思っていることを言えない」というルーツを探して読んだ本の中の1冊だったと思います。
#メリラボの前に書いていたブログ「迷子のコウノトリ」にちょうど本を買ったころのことが書いてありました。汗
本と再会して、読んで、感じたこと
買ったのは2014年6月のこと、3年前ですね。
ずっと目に付くところに置いてあったし、当時も2回読んだはず。(私は大抵の本を続けて2回読む癖がある。)
読んでからこれまでもう一度手に取ることはなかったし、内容を思い出すこともなかったし、今回読んでみると初めて読み進めていく感覚で。
最初の2章くらいはすごく眠くなってしまって読むのに時間が掛かりました。
だけど進むにつれてどんどん眠くなくなってスピードアップして、何だか妙にすっと腑に落ちる感覚があったんです。
以前どこかで、自分より高い波動のものは興味がある・読みたい気持ちはあるのに眠くなってしまうことがあると聞いたことがあって。
繰り返しているうちに自分の波動が合ってくると、すんなり入ってくる、面白いと思えてくる、最後まですっと読めてしまう、だそうです。
私はそんなスピリチュアルな話は詳しいわけじゃないけど、嫌いなじゃない。
聖なる予言 とか信じて読んじゃったタイプ。笑
そういえば昔マチュピチュで透明になれるか挑戦したけど無理だったな。その結果今でもこうして三次元で這いつくばって生きてる…。(あ、話が逸れた)
前回読んだときのことはほとんど覚えていない。
多分、私にとっては今このタイミングで読まなきゃ意味をなさない本だったんでしょうね。
今このタイミングで読んだことで、私が気付けたこと。
私はもう、毒親育ちのしがらみの中にいない。
気付いたことで起こった変化
大切なのは自分で気付いたということ。
誰かと比較してどうとか、誰かに言われたから本に書いてあるから考え方を変えたとかではなく、自ずとそう思えたということ。
- 私はもう親を恨んでいない
- 子供たちに全く同じことは繰り返さない
- 子供たちが輝いて見えた 笑
- 私はNoが言える
- 私は毒親サバイバーではなく、ほぼスライバー
もう親を恨んでいない
これは普通(?)の親子みたいに、「もう感謝や愛といった感情しか残っていません。」っていう意味じゃないです。全然。笑
同じ家で生活していた、生まれてから19歳までの間に受けた影響の大きさは計り知れない。
だけど、6年前に絶縁して、会わない間に私は私を少しずつ取り戻した気がする。
嫌いだとかあの人たちのせいでとか今は全然思っていなくて、その代わりに今感じているのは「私は私で幸せになるので、あなた達はあなた達でどうぞお楽しみください。」みたいな感じ。
うん、うまく言えないや。
つまり自分と親とを切り離して、全くの別物と考えているってこと。
多分、恨んでいる間は親離れできてなかったんじゃないかな。
経済的には自立して結婚して自分の家庭を持っているけど、本当のところの気持ち的な意味でね。
恨みという気持ちが親から離れてなかったってことやもんね。
私はきっと繰り返さない
あの人達は、ああすることしか出来なかった。
あの人達もきっと繰り返されてきた人達で、自分も繰り返すしか術を知らなかった。
私は知った。気付いた。
このまま何も知らないままだと自分がされた育て方しか分からないから、きっと繰り返していたんだと思う。
だけど私は「毒みたいに悪影響になる親がいる」ということに気付いた。
もちろん自分が親にされた同じことをしてしまうことがある。
でも「これは間違っている。」と気付ける。
「同じことをされて、傷ついたやん私。だからこれはやめて違う方法を考えよ?」って思える。
この意識だけでも、全く同じを繰り返すことはきっとない。
子供たちが輝いてる
何度か途中眠ってしまいながらも本を読み終えて、そばに寄ってきた娘が何だかいつもの3倍可愛く見えました。
子供たちのおしゃべりが、すんなりと私の心に届く。
1つの仕草や泣いた顔までが、ふわっと輝いて見えるような感覚で不思議だった。
(今はもうその輝いた感じは見えなくなっちゃった。でも可愛いよww)
「繰り返しちゃいけない」という強迫観念に縛られていたときは、自分の子育て次第でこの子たちも生き辛さを味わうのかもしれないと責任重大に感じていたときは、「何で私はこんなに一生懸命なのに!必死なのに!」っていうフィルター越しに子供たちを見てたんだろうね。
何か今はその曇ったフィルターが外れた感じ。
もうそのフィルターが外れた世界に目が慣れちゃったのかな?
カメラでちょっと加工したときみたいに輪郭の周りにふんわり輝いてたあの感じ、何だったんだろう。
私はNoが言える
毒親育ちの人は、感情表現や本当に思っていることを人に伝えるのが苦手でNoが言えない、というのも1つの特徴だと思う。
適切なノーが言えない
自分が拒否したら相手にも拒否される、一度でもノーをいってしまったら、もう見捨てられるような気がするのです。
(中略)
我慢に我慢を重ねて、大爆発を起こすこともあります。
(中略)
また、自分が適正にノーがいえない結果、相手のノーも適正に読みとれなくなっています。
拒否されたわけでもないのに「拒否された」と過剰反応したり、逆に、きちんとノーを言われているのに認めたくなくて、結局相手から手ひどい「ノー」を引き出してしまうこともあります。
お互いが気持ちよくつき合える適度な距離をはかり合って、親密な関係をつくっていくことができないのです。
インナーマザー あなたを責めつづける心の中の「お母さん」
第3章「インナーマザー」と「親教」より引用
以前の私にはすごく思い当たる節があります、っていうか、そのままこんな感じでした。
だけど今は違います。
何でもかんでも引き受けて消耗して疲れ切って後悔して…これは子供たちに見せていい背中じゃないなって思ったんですよね。
出来ないことを引き受けるのは無責任にも繋がりますし。
2:6:2の法則を知ったことや付き合いたい人を自分で選ぶと決めてから、Noもちゃんと言えるようになろうと思って、少しずつ頑張って言えるようになりました。
(262の法則、知らない方はググってみてね)
大爆発するタイプだったのも少しはマシになったかな?笑
私は毒親スライバー
私はずっと自分のことを「毒親に苦しめられている人」だと思っていました。
でももうそれは過去のことって気付いたんです。
この差が分かりますか?
サバイバーとスライバーの違い
毒親に育てられて何らかの問題を抱えていても気付かずにいる、あるいは気付いていないふりをして一見仲良く生活している親子関係。
そこから生き辛さや息苦しさの原因に気付いて、「自分がこんな風に苦しいのは親のせいだ!」と怒って反発する。(=サバイバー)
毒親育ちのサバイバーであることを主張する必要がない、「毒親育ちですがそれが何か?」という感じで苦しみが過去のものになった。(=スライバー)
本を読んで私が理解したことをざっくり説明すると、こんな感じ。
私はもう怒ってないし、スライバーの特徴として挙げられた項目に当てはまるものが多い。
スライバーの特徴
- 一人でいられる、一人を楽しめる
- 寂しさに耐えられる
- 親のことで過剰なエネルギーを使わない
- 自分にやさしい
- 他人(世間)の期待に操られない
- 自分で選択し、決定する
- 自分の選択したことに責任を取れる
- 自分は世の中に受け入れられて当たり前という確信を抱いている
正直8番目は全然そんな風に思ってないですけど、1から7はうんうん私そうだよなって想いながら読み進めました。
特に世間体が「異常に」大事な親に育てられて、他人からの目を気にしながら生きてきて、自分自身の求める選択がなかった・頑なに親の意見の歯向かう選択肢しか見えなかった私が、今は完全に『自分』で選択していることを考えると、私はもう次のステップにいるって実感があります。
今は気持ちが軽くなった!
私はまだ親の毒に縛られているような気がして、必死に前に進まなきゃってもがいていたけど、実はちゃんと前に進んでいたんです。
海で「足が付かない!」って汗って必死に泳いでて、ふと立ってみると「なんや、ここもう浅いやん。」ってなったときみたいな感じ。(え、分からん?)
この気付きはおそらく今後の自分にとって大きな一歩になると思う。
すごく肩の荷が下りて体が軽いのよ。今なら亀の甲羅を降ろした悟空とクリリン並みに飛べる。(え、分からん?)
自分の気持ちがクリアになって、今後の子育てに対してもすごく気楽になった。
え、これ以上手抜きするん?って声が聞こえてきそうやけど、そうやねん。いや違う。←どっち!!
もう私は「繰り返しちゃダメ!」っていう強迫に縛られていない。
純粋に我が子がかわいいという感覚を知りました。
責任はあるけど、親と子は一心同体じゃないのよね。私の子離れは早い!老後を楽しむ!
《まとめ》出会いは偶然?それとも必然?
今の私はなんだか毒素が抜けた感じがしています。すごく不思議な気持ち。
ネットの世界に出会いがあって、そこからかおらべさんとトントン拍子で実際にお会いすることになって、お話をして、本との再会があって、一皮剥けた私。
お会いできて嬉しかったです!かおらべさん、ありがとうございます (´ω`*)♪
全てはタイミング、なるべくしてこうなった。
変化を怖がって実際の交流を拒んでいたら今の自分はなかった。
引き寄せられるような流れに身を任せてみると、嬉しい気付きがありました。
偶然の一致とか、引き寄せとか、言葉は色々聞いたことがあるけれど、体感したのは初めてな気がして書き留めておきたくなったのでした。
直後、一皮むけた自分に気付く出来事が起こったのですが、それはまた次回に。
私はこれからどんどん人に会って、変化を積極的に楽しみます!
コメント
メリッサさん、はじめまして。
私も毒親育ちの31歳です。
恥ずかしながら、私はまだ親に振り回されることが多く、なかなかスライバーにはなれそうにありません。
もう親元から独立して8年も経つのに、です。
最近になって父が家を出て行き、別居という形になりましたが、未だに仲の良い家族を演じさせられます。
父も異常に私との距離を近づけたいらしく、頻繁に連絡がきます。
縁を切ったり無視する勇気もなく、親から連絡がきたり、自分でしてしまうたび苦しくなります。
メリッサさんの過去と同じように、自分も子供が生まれたときに、同じように毒親になってしまったら…と思うと怖くて仕方がありません。
メリッサさんがスライバーまで至ったのはどういったことがきっかけだったんでしょうか?
私はとりあえずこの本を読んでみたいと思います。
Lilicaさん #メリラボを読んでいただいてありがとうございます。
何か1つの大きなきっかけがあったというよりも、自分が親と一緒にいるとしんどい・何かがおかしいと気付いてからの行動の積み重ねで気付けばそうなっていた…という方が当てはまる気がします。
まだ完全ではないので偉そうなことは言えませんが、こんなケースもあるということで、ここでの返信だと長くなるので次回記事にしますね。もしも興味がありましたらそちらも読んでいただけると嬉しいです。
メリッサ