こんにちは、メリッサです。
先日の記事に「メリッサさんがスライバーまで至ったのはどういったことがきっかけだったんでしょうか?」というコメントを頂きました。
何か1つの大きなきっかけがあって、怒りが冷めて生き辛さが消えたわけではありません。
自分が親といるとしんどいと自覚し、怒りを経て、自信を取り戻すために選んだ行動が一つ一つ積み重なって、いつの間にかここまで辿り着いていた…という感覚です。
もしも今あなたがしんどいのに抜け出せない、毒親という言葉を聞いて自分の親も当てはまるのに現状を変えられないと苦しんでいるのであれば、私が背中を押しましょう。
あなたはもう親を見限って、自分の幸せを選んでいい。
私がこんな風に考えられるようになるまでの経緯をお話いたします。
Contents
私が毒親のしがらみから抜け出すまで
まず前提として、私は誰かに診断してもらったりカウンセリングを受けたことがないので、あくまで自分の気持ちの変化についての話です。
先日の記事では『ほぼ』スライバーと表現しましたが、その通りで、スライバーの特徴全てが当てはまるわけではありません。
けれど、毒親に苦しめられていたことは過去のものになりました。
両親への気持ちはしがらみの中にいたときと違って穏やかで、もう恨む感情がないことも確かです。
一方で両親が行った子育てによる後遺症のようなものに悩んでいることもまた事実。
ただそれはあくまで私の問題で、あの人達に何かをして欲しいとか、例えば自分たちの下子育てを反省しろ!悔いろ!とは思いません。
ゆっくりマイペースに、自分で癒していくのです。
しがらみから自分を解放するための5つのステップ
これまでの人生を振り返って、毒親育ちのしがらみに段階があるとすれば5つのステップがありました。
- しがらみの渦中 (好かれようと頑張る)
- 違和感 (息苦しさ、居心地の悪さ)
- 反抗 (悲しみは怒りへ)
- 身を守る決意 (距離の確保)
- 自信を取り戻す過程 (現在)
もちろんこれはスムーズな一方通行ではなく、行ったり来たりしました。
今はもう私が1~3に戻ることはありません。
でも自分を癒すなかで身近に理解してくれない人が存在すると、その人との関係をどうすべきか判断に迫られることがあります。
理解や共感を求めるか、諦めるかのどちらか。
そのときは4に戻ったりすることがあります。
しがらみの渦中から自信を取り戻すまで
生まれたときは誰でも両親が大好きだったはず。きっと私もそうでした。
どんな仕打ちをされても、酷い言葉で罵られても、それは自分のせいで親が悪いわけじゃないと思い込んで疑わない。
あまりに存在を否定され続けると、私はいない方がよかったんじゃないかって悲しくなります。
ホームドラマで見て夢物語だと思っていた家族像が、友達の家では普通に繰り広げられているのを目の当たりにして衝撃だったな。
うちは何となくおかしい、そう気付くと悲しみは怒りに変わります。
「いらないなら何で生んだの?生まれてこなければ、こんなに苦しい思いはしなくて済んだのに!」という風に。
親が望む反対ばかりを選んで、あなた達は間違ってる!と示したかった。
大人に近付くにつれ少しずつ行動範囲が広がり、中には自分を必要としてくれる人にも出会います。
「やっぱり親がおかしかった、ほら私だってスゴイんだ!」と感じられることで、それはときには勘違いが混じっていたとしても、その実感を積み重ねることで自分が存在していいと思えるようになりました。
さらに一人暮らしを始めたことで、物理的に親と距離を置いて、自分の自信に繋がる選択をするようになります。
ただ親の反対だけを選んでいたのが、自分自身のための選択になる。
自立して生活できることも自信になるし、親の邪魔も減るし、それまでは3歩進んで3歩下がっていたのが少しずつ前進できるようになりました。
この距離感を奪われそうになったのが、結婚・出産です。
せっかくいい距離で干渉され過ぎずに自信を取り戻そうとしていたのに、親が急に近付いてきて、また自信を失いそうな危機感を抱きました。
子供が全員自立したので、新たに構う相手を孫に見定めたのでしょうか。
再び息苦しくなった私は、しがらみに引きずり戻されるのがどうしても嫌で、最終的に絶縁を選びました。
それからは今も、少しずつ自信を取り戻して自己肯定感を高めるための過程を繰り返しています。
毒親のしがらみからの解放を阻むもの
「毒親育ちあるある」な気もしますが、このステップの邪魔になるものは親への期待と周りからの言葉です。
なんだかんだ言っても親なんだから我が子(自分)を愛してくれてるはず…という無駄な期待を抱き続けてしまう。
そして疲れ切ってもう諦めて自分は自分の幸せを探そうと決意すると、周りから非難される。
「そうはいっても親なんだから。」
「育ててくれた親に感謝しなきゃ。」
言われる度に感謝できない自分がいけない人間のような気持ちになるし、いつまでも周りからの理解や共感は得られにくい。
そこで葛藤が生まれて、前に進めなくなる。
息苦しさやしがらみが膨らむばかりで、こんなに苦しいなら自分はもういなくなりたいと考え始める。
親というだけで絶対的に感謝すべき存在ではないということはみんなもう知っているはずです。
虐待や育児放棄だってあるし、自分を優先して我が子を死なせてしまう親はニュースでも見る。
なのに、なぜ自分やすぐ隣の人には当てはまらないと決めつけてしまえるんだろう?
誰かに認めてもらえなくても気にする必要はない。
自分が親を苦しいと思ったなら、すべてに対して感謝できなくても悪い子じゃない。
自分の幸せを目指したとき、邪魔をする親なら全力で逃げていい。
親が我が子より自分を優先するのとは違う、だって私がいなくなっても親は餓死しない。
ただパートナーが理解してくれないのは諦めた方がいいのか、理解してくれるパートナーを探すべきなのか、理解してもらう努力を続けた方がいいのか結論が出ていません。(現在の話)
毒親育ちの姉弟関係
おそらく毒親でいつまでもしがらみから抜け出せないと苦しむ人は、長女や1人っ子が多いんじゃないかな。
「こんなに愛されているのに、何だかそれがしんどい。」
愛されてきた自覚があるから、しんどく感じることが申し訳なく思える。
そこで気付いていないふりをして、さらに息苦しくなる。
私には『こんなに愛されているのに』という実感がない。
だから人生の比較的早い段階で、息苦しさの原因は母にあるとはっきり認識していました。
他人にいくら「親はありがたい。感謝しないと!」って言われても全く響かない。
「それはあなたの話でしょう?私には当てはまらない。」ときっぱり言える。
(実際そう口に出すことはほとんどないけど。)
気付かないフリしていつまでもしがらみの中にいて、だけど自分から抜け出そうとはしない、苦しいけどもうそれがないとやってけないんだろうなっていうM体質の人もいるよね。
書いてて思ったけど、姉がそう。
実際に毒親育ちの姉弟の場合、1人だけが苦しんでることはほとんどないらしい。
親の愛情の偏りやその受け取り方で、姉弟それぞれにそれぞれの形で歪みが出てくる。
我が家の場合、姉は今でも独身で一人暮らしはしているものの親との繋がりが太く、弟は不登校でした。
姉とはなんとなく気まずくて年々疎遠になっていくし、弟とは絆もなく親と絶縁したときから全く連絡を取っていないので近況を知らない。
しがらみから抜け出すために必要な考え方
まず親は親で自分は自分、それぞれ別の人間でお互いに干渉される必要はなく、お互いが大人になれば相手の人生の問題に自分の責任はないと思うこと。
当たり前だけど、ちゃんと理解してない人が多い。
心からそう思えないと、申し訳なさや期待が邪魔して前に進めない。
お互いが大人になればっていうのは、子供が独り立ちするまでは親が衣食住において責任を持たなきゃいけないと思うから。
逆はない。
母の人生で叶えられなかったもの
私は子供の頃に、母の話を何度も聞かされました。
父親(私の祖父)は被爆して母が物心ついたときには寝たきりで、母親と兄(祖母と叔父)が面倒を見ていたこと。
私が小学校のときに亡くなるまで祖父のいる部屋は開かずの間で、母以外の身内(父や姉弟)が入るのをを見たことはないし、当然私も入ったことがありません。
母は就職で家を出るまで母親と年の離れた兄家族と同居で、幼い姪の世話や家事が母の担当でした。
授業が終わればすぐに帰宅して、姪をおぶってご飯の準備や風呂焚きをしなきゃいけなかったので、部活ができなくて悲しかったそうです。
大学に行きたかったけど、父親が寝たきりで貧しかったため、高校を卒業すると就職して田舎から大阪に出てきました。
実家に仕送りしながら、その一方でお金をためて和裁や洋裁などを習いにいって、そこで縁が生まれて父と結婚したらしい。
お金は取られたらなくなるけど知識や経験は盗まれることはない財産になる、というのが母の教えで唯一私がまともだと思ったことだ。
実家の母親は同居中の兄嫁にいびられて、娘(母)に電話もさせてもらえず、小銭を握りしめて公衆電話からいつも電話してくる、かわいそうだともよく言っていた。
親の人生は親のもの、私の人生は私のもの、息子の人生は息子のもの
こういった親の人生で満足できなかったこと・叶えられなかったものを、子供に託そうとすることはよくあること。
だけど親の人生は親のものであって、子供が引き受けなければいけない義理は全くない。
例えば歌手や女優のステージママは有名ですよね。
私はアイドルになれなかったから、娘は絶対に!!!!!って熱くなって出しゃばり過ぎちゃう母親。
最近だと松田聖子もきっと毒母だと思う。実母から引き継いだ毒を娘に繰り返したんだろうね。(あくまで私の想像。)
もしも若いときや子供の頃に心残りがあるなら、早く子離れして自分でまた挑戦すればいい。
私の心残りは世界一周で行くはずだった残りの国。
だからって、息子たちに代わりに行ってもらおうとはこれっぽっちも思わないよね。笑
一緒に行きたいというならそれはそれで楽しそうとは思う。
あくまで私は自分で行く。
《まとめ》自分のために人生の選択をする
親に対して怒っているときは、親の言いなりになりたくないという親への反抗心でしか動けませんでした。
親が無理と言った方法で私は成功して親が間違っていたことを証明して見せる!ギャフンと言わせてやる!という考え方。
これではまだ毒親のしがらみから抜け出せていない、と気付いたのは最近のこと。
あくまで親がどう思うかが選択基準になっているうちは、親の言いなりになるのと大して変わらない。
親のことはもう見限って、自分から切り離して、自分自身の人生のために選択しなければ意味がないんです。
そのためにはまず自分が息苦しいのは親に原因があると気付き、いつまでも怒りに縛られずに、次の段階に進まなければいけません。
「娘が自分から離れようとしている!」と察して邪魔をしてくる親であれば、物理的に離れる必要もあります。
いくらそれで「この親不孝者!」と親や周りから責められたとしても、分かる人だけ分かってくれればいいと諦めて、自分の人生の主役はあくまで自分だと割り切る。
毒親は自分が毒をまき散らしていることに気付いていないので、ずっと毒親のままです。
私は自分が毒を持っていることに気付きました。
子供たちに同じことを繰り返さないよう、自分を癒して、穏やかにマイペースに自信を取り戻します。
一緒に頑張りましょう。