ラブラブ愛を叫ぼう~♫
こんにちは、メリッサです。
えーっと、ブログで以前「私は愛が何か分からなかった。」と書いたことがあるのですが、今でもそうかというと違います。
じゃあ、愛って何? 笑
愛って、分かりにくいですよね。
何となくドラマの最終回みたいなイメージはありますけど。
男女間だと、幾多の試練を乗り越えて噴水の前で抱き合ってチューしたかと思うと抱っこして回ってるとか。
家族感なら偏屈オヤジの最後の夢を妻と5人娘とその家族みんなで応援することになるとか。(ファミリードラマが渡鬼しか思い浮かばなかった。汗)
でも実はそんなに大袈裟なものでも崇高なものでもなくて、もっと身近なものでいいと思うんですね。
と同時に「これが愛の正解である。」と、1つだけに限られているものではないと思います。
自分の愛の表現の仕方と、相手の表現方法はまるで違うかもしれません。
お互いの愛のイメージが、全然違うものかもしれません。
そんなとき、相手の愛を否定したり、受け取り拒否していませんか?
私たち夫婦は、愛の表現方法が正反対です。
それで昨晩口論になったので、そのときのお話と織り交ぜてお伝えします。
Contents
愛の表現方法は1つだけ?
去年の夏、私は夫から
「メリちゃんからは愛が感じられない。
メリちゃんは愛が分かってない。
親との関係のせいもあるだろうけど、人として欠けてるところがあると思う。」
と言われたことがありました。
●そのときの詳しい話は☟こちらをどうぞ。
長いので見出し『ファンになったきっかけ』から『動画を見たときの感想』までで大丈夫です。
私たち夫婦は愛情表現が正反対
愛情表現にも色んな方法があるんですよね。
私はとにかく行動で態度で示そうとする。
夫は「愛している。」と言葉にしたり、スキンシップをとること。
お互いに自分の思っている表現をされると、すぐに気が付けるんです。
私の場合は、どんな私でも受け入れて応援してくれていると感じると、愛されているなぁと安心できます。
夫は「愛している。」と言われることで安心できるんですね。
でも私と夫は、お互いに表現の仕方が違うわけです。
私は私なりの方法で表現し続けていましたが、夫には何も伝わっていなくて、一度は灰になりました。笑
だけど愛していないわけじゃない
自分と違うからおまえのは愛じゃない!と夫のように相手を否定すると、言われた人、つまり私は落ち込みます。
私は愛のない欠陥人間だと、いなくなった方が良いんだと、何日も笑えない日が続きました。
でも、お互いの表現方法が違うからと言って、愛がないわけではないですよね。
私は私で一生懸命に夫のことを受け入れて応援していたんですもん。
そして逆に、私は言葉やスキンシップだけを愛だと言われても、心から信じることが出来ませんでした。
口だけでは何とでも言える。
愛がなくても男の人はできるでしょう?
そして私は求めていたわけです。
「私のことを丸ごと受け入れて、応援してちょうだい!」と。
そして受け入れてもらえない=愛されていないと感じて「もっともっと!」と欲しがっていたんですね。
違う表現の愛を与えて、受け取る方法
相手から愛を受け取って、与えたい人に愛を受け取ってもらうには、どうしたらいいんでしょうね。
私が考えたのは、色んな愛の与え方・表現の仕方があると知ることじゃないかなぁということです。
- 言葉で表現する人
- スキンシップ重視の人
- 贈り物をする人
- 縁の下の力持ちとしてそばにいる人
- どんなあなたでも受け入れてくれる人
- 逆の言葉を言っちゃう人(ブスー!でこっぱちー!)
- 逆のスキンシップ(スカートめくり)
もちろんこれだけじゃないですよ。
毎日朝早くお弁当を作ること。
お惣菜の日でもお味噌汁は必ず手作りすること。
暗い帰り道は必ず家まで送ってくれるとか。
意味もないのにLINE送っちゃうとか。
飲み会断って早く家に帰るとか。
こういう一見他愛もないことも、全部、愛情表現になり得ますよね。
(ちなみに他愛ないの愛は当て字らしい。紛らわしい。笑)
自分の表現とは違っていても「あぁ、この人はこうやって愛を表現するんだな。」って知っていれば、かわいく見えてきそうな気がしませんか?
「ちげーよ!ブス!!バカ!!」(赤面)
と言われても笑って許してあげられそう。
私的には「だったらわりーかよ。」とぶっきらぼうに言われたい。(完全に個人的な趣味の世界。)
【昨夜の口論】子供に愛を伝えてるのか!!
ここで昨夜の口論に繋がります。
長男と私で話していた「クラブ活動したいなら最低限これはやろうね。」という毎日のお約束が守られなかったので(しかも何度も!!)、ついに堪忍袋の緒が切れた私。
それで長男や夫を交えて話をしていたのですが、いつしか長男の話から飛び火しまして。
見出しの台詞が夫から発せられました。
「メリちゃんは、長男に愛してるってことちゃんと伝えてるのか!!」と。
もう心外も心外。 …( ゚д゚)呆
だけど、良い機会なので話すことにしました。
私「あなたと私の愛情表現は違うけれど、それは愛してないというわけじゃない。
表現が違うからといって、否定されたくはない。
私は私の方法でも愛を伝えているし、もちろん大好きと言葉でも伝えている。
それ以外の言葉でも伝えている。」
夫「今それで長男に100%、メリちゃんの愛情が届いている自信があるの?」
私「今全部伝わってなくても良いと思っているので、私はそこを気にしていない。
将来、何かのときに『あぁこのこと言ってたんだ。』って思い出すことがあるかもしれない。
失敗したとき『それでもママは味方してくれる。』と自信を持ってくれるなら、思い出すことがなくても十分届いていると思う。
それが全部今である必要があると、私は思っていない。」
私「あなたは小3のとき、母親から100%愛されていると思えていたの?」
夫「小3どころか、物心ついた幼稚園くらいのときから今までずっとそう思ってる。」
す、すごい。
私と真逆!!!!笑
【余談】
夫は本人の話でも義理母の話でも、反抗期が無かった人なんですねぇ。
物心ついたときから母親に100%愛されていると感じて、ずっとこれまで生きてきた人。
これはねぇ、とんでもない『拗らせ野郎』か、神レベルで愛の人かってことになるんですよ。
家族に100%愛されていると感じて生きてこられたことは、とてつもなく素晴らしいことです。
本当に私の母はこの人なのか?病院で取り違えられた可能性はないのか?と幼いころから考えていた私とはエライ違いです。
ただ、この世界で起こることは、全て陰陽どちらの顔もありますからねぇ。(二面性)
世界を飛び越えた神レベルの人なら、陽だけってこともあり得るのかもしれませんが、私と出会って結婚するほどの類友ということは…?
私は神レベルではないので、まぁ…(察し)ってことになります。笑
えぇぇぇーーー!!Σ( ̄ロ ̄lll)
《まとめ》愛の表現方法が違うと分かったなら、相手の表現を取り入れてみよう
とにかく、私は夫に、
私たちはお互いに愛情表現が違うこと。
表現の仕方が違うからと言って、愛していないわけではないと気付いて欲しいこと。
どちらが正解というワケではない。
ただ、お互いが自分の表現だけしか受け取らないというのは違うと思う。
ということ伝えられたので、その件に関してはスッキリしています。
(それ以外の件に関してはモヤモヤもいっぱい残ってる。また別の記事で書く!笑)
私は愛が何か分からない・・・とクヨクヨ悩んでいたころが懐かしいです。
次の学びは、相手の愛情表現を自分の表現に取り入れてみることだと思います。
私の場合は、言葉で伝えること。
まずは一番取り入れやすい愛の言葉「ありがとう。」を、積極的に夫や家族に沢山伝えることにしよう!