こんにちは、メリッサです!
私が実母に「縁を切らせてください。」と伝えたのは、2011年5月のことでした。
今は2018年9月。
先日、7年ぶりに実家で母と会いました。
実家に帰ったのは8年以上ぶりになります。
久々の故郷は、「思っていたよりも小さい町だったんだ。」という印象でした。
心の平穏を手に入れるための絶縁でした。
再会して、今、私が感じていることを書き残しておきます。
Contents
7年ぶりに母と再会することになった経緯
再会するきっかけは、着物でした。
息子の卒園式や入学式、七五三などのお祝い行事に、ずっと着物を着たいと思っていた私。
一度、写真スタジオの貸衣装で着物を選べたので、喜んで着せていただいたのですが。
生地や柄の質はとても満足できるものではなく。(月牡牛座なだけに、上質なものが好き。)
写真に残せたことはとても嬉しいですが、いつかちゃんとした着物が欲しいと思っていました。
そして、今年は三男と娘の七五三があります。
やっぱり着物を着たい~!!
姉は結婚式に着物で参列することもあるということだったので、貸してもらえるか尋ねてみました。
姉に聞きつつも、何となく予想はしていました。
おそらく、実家には私の着物があるだろう。
母は和裁をしていて、成人式の振袖も母が作ってくれたもの。
姉と私の振袖を自分で作るほどの人なのだ。
父はそのとき、新車購入を諦めたと聞いた。笑
姉が着物を着るということは、母が用意したものに違いない。
つまり、私の分もあるということ。
姉が母に確認したところ、やはり母は私の着物や小物一式を用意してくれていた。
せっかくだから、着てくれたら嬉しいと言っているらしい。
ふむむ。
私の心の変化
実は、春くらいから密かに思っていたことがある。
やっぱり私はもう両親を恨んでいない。
「やっぱり」と書いたのは、去年の秋頃にも書いた通り、私は自分と向き合う時間を持ち、気が付けば恨みや憎しみといった感情はもう残っていないと感じていたから。
(やはり感情はエネルギーである。
使えばなくなる。)
だけど実家に行くきっかけが何もない。
何も理由がないのに行く、というのは私にはハードルが些か高かった。
自分で「縁を切りたい」と言っておきながら、どんな顔して帰るんだという気持ちも確かにあった。
それが、着物を用意して、着て欲しいと言ってくれていると分かって、「まぁこんな顔して帰ればいいか。」という気持ちになった。
実は、この話は8月中にまとまっていたのだけれど、夫には言えずにいた。
夫には、「自分から言っておきながら」って思われるんじゃないかっていう不安がまだ残っていた。
夫に当日の朝伝えてみた
夫に、姉と約束した日の朝「今日、実家に行って着物をもらう。」と伝えた。
私は夫に「自分で言っておきながら」って言われる心配をしていた反面、そんなことはきっと言われないだろうなとも分かっていました。(どっちや。)
私が勝手に心配しているだけで、夫はきっとそんなこと言わない。
夫は夫の両親とはとても仲が良いので、何だかんだ言って親子の縁は繋がってる方が良いと思っているだろうなって。
私が会うと言えば夫は反対しないだろうと信じられるくらいまで、自己肯定できるようにもなってるし。
伝えたらやっぱり何の反対もなく、夫は快く送り出してくれました。
夫「お父さんやお母さんは、家にいるの?」
私「仕事だから、いないらしい。でもお母さんは昼には帰るって。」
夫「前もって来るって分かってたら、休んだりするんじゃないの?」
私「それはしないらしい。」
夫「でもまぁ、いるかもしれないし。会ってない間のこと、ゆっくり話しておいで。」
私「うん、行ってくる。」
姉がもともと休みを取って数日間実家に滞在しているという話だったので、子ども達が幼稚園や小学校に行っている間にひとまず一人で行ける日を選んでいました。
仲介役は、やはり必要なのだ。笑
姉にも感謝。
実家への道中
車で実家まで30分弱。
同市内に住んでいるので、もっと近いイメージでいたけど意外と掛かった。
予定より到着が遅くなりそうだ。
車に乗る前に、呟いていた。
『実家に帰らせていただきます!!』
今から、帰ります。
私が実家に帰るのは約8年ぶり。絶縁して7年以上になるので、お互いに色々変わってるだろうな〜。どんな会話をするんだろう?
妙な緊張感がありつつも、今回を乗り越えた後の自分が楽しみ。毒親から、本当の卒業をするときが来ました。
— メリッサ (@sutekimama7) 2018年9月18日
イイねやリプの通知があると、皆が応援してくれているような気がして心強かった。
ありがとう。
運転しながら、自己肯定を高めるワークをいくつかした。
「私は愛されてるし、応援されているし、存在して良い。
私はどんな感情が出てきても、その感情をそのまま出すか、なりたい私として振舞うか、ちゃんと選択して行動できる。
母が変わっていても変わっていなくても、少なくとも私は変わった。
だから、何が起こっても大丈夫。」
そんなアファメーションを何度もした。
再会のとき
到着したら、やっぱり姉の言っていた通り両親は仕事で不在だった。
でも昼には母が帰ってくるので、お寿司を取ってると言う。
わー!豪華…。めっちゃ歓迎されてるやん。
姉がお吸い物を作ってくれている間、喋ったりぼーっとテレビを見たりして過ごした。
お昼になって、車が停まる音がした。
しばらくして、「ただいま。」という少し緊張する母の声が聞こえた。
心なしか、涙声だったような気がする。
「よう来たなぁ。
ちょっと一回ちゃんと顔見せて。」
と言われたので振り向くと、
「少し痩せたんか?」
と言われた。
何も変わらないし、むしろ少し肥えたよ。
お寿司を食べながら、ポツポツ近況を伝えた。
7年前、2人目を妊娠したことを絶対に知られたくなくて隠し通して産んだつもりでいたけど、母は子ども全員の名前を知っていた。
話を聞くたびに「偉いなぁ。あんた偉いなぁ。」って感心してた。
でも掃除機はかけないし洗濯も畳まないと言うと、「○○さん(夫)がしてくれるなら、えぇやん。」って、以前なら絶対に言わなかったようなことを言いながら笑ってた。
着物の扱い方を教えてもらって、会っていない間に生まれた子供のお祝いや双子の就職祝いなどを頂いて、何度も「ありがとう。」と伝えて帰った。
車が動いても、信号が変わって角を曲がって見えなくなるまで母はバックミラーにうつってた。
やっぱり母は母だった。
再会したあとの、今のキモチ
姉と一緒に車に乗り近くの駅まで一緒に帰って、すぐに幼稚園のバス停に子供をお迎えに行って、帰宅してすぐに日常だった。
翌日だった昨日は、長男が学校を休んでずっと家に一緒にいた。
やっと一人になった今日、いただいたお祝いを一通り子供たちそれぞれの銀行口座に預け終えてから、このブログを書いています。
実家では流さなかった、流せなかった涙が、今止まりません。
悲しいわけでも、嬉しいわけでもないんです。
実を言うと、感動しているわけでもないです。
だけど、何でなんでしょうね。
私は、1人で、全部ひとりで何でもやると心に決めて、強くたくましくあろうと、だけどいくら家族が増えても孤独に生きてきました。
誰かを頼ったり、助けてもらったりすることに、どこか罪悪感を感じて、
いつか、もしかしたら目の前のこの人だって私から去るかもしれないと不安で、
私は、本当にここにいても、ここで生きていていいのかと、ずっと迷っていたんです。
子ども達に対しては、こんな母で申し訳ないという気持ちもありました。
色んな気持ちが、この涙と一緒に出ていって、スッキリした気持ちになれるのであれば、泣きたいだけ泣こうじゃないか。
浄化、浄化!
今のキモチは、こんな感じです。笑
正直言って、両親が好きかと問われれば、今の私はやはりこう答えるでしょう。
「好きではない。」
です。
だけど、憎くもないし、恨んでもいないし、嫌いでもありません。
荒れ狂った波のような時期を経て、今はとても穏やかな朝を迎えた…という感じでしょうか。
感謝しているし、やはりあの両親がいて今の私がいるんだと心底思っているし、少しでも楽しく長生きしてくれたら良いなと思う。
毒親に苦しんでいるあなたへ
この感情は、7年離れていたからこそ、そして自分と深く向き合う時間があったからこそ生まれたものです。
だから、絶縁していた期間があったことは全く後悔していません。
むしろ、その期間があったおかげでこのようなときが迎えられたと思っています。
私には離れる期間がやはり必要でした。
だから、私は毒親で苦しんでいる人たちに、
許せとか、感謝しろとか、そうは言っても親なんだからとか、
絶対に言えないです。
自分の心を守ってください。
安心できてやっと自分と向き合う時間を作ろうと思えて、そこからで良いと思うんです。
ゆっくりと、あなたにはあなたのペースがあるんです。
離れる必要がある人も、離れることはできない人も、もう会えない人も、色んな人がいるでしょう。
あなたはあなたに合った方法で、自分を取り戻してください。
今後はどうするの?って夫にも友人にも聞かれましたが。
そんな急に子どもの祖父母として親交をガンガン増やしていこうとか全然思ってないですし、
夫には「せっかくお母さんが用意してくれた着物で写真撮るんだし、呼ぶ?」とか言われましたが全然呼ぶつもりないですし、
「じゃあ次は子供たちみんな連れて行くか?」って言われましたが、「なんでそうなるねん、天然うぜぇ!」って思いました正直。笑
私には私の適度な距離感があるはずです。
それを見つけることは今後の課題です。
お互いに快適に過ごせる距離感。
これは色々試して見つけるものだと思うので、ちょっと億劫ですが、やってみます。
着物が想像以上のもので、自分で保管できる自信がないので母に頼もうかな。
着物を着るときに会う。
それくらいの距離感が、私たちには合ってるのかもしれない。