こんにちは、メリッサです。
先日、こんなことを呟きました。
‼️宣言‼️
『いつでも』笑顔で明るくするのを辞めます。納得いってないとき、
悲しいとき、
叱られてるとき、
面白くもなんともないときにでも、ヘラヘラ笑顔の癖がついてることに気付いた。そうか〜、コミュニケーションのすれ違いはこれが原因だったのか…!
「嫌がってんなら、笑うな!」
— メリッサ (@sutekimama7) 2018年9月23日
私は「いつでも笑顔で!」と言われて育ちました。
同じように言われて育ったという方から、メッセージもいただきました。
もしもあなたが普段「ちゃんと嫌だって言ってるのに、やめてもらえない。」と思うことがあるのなら、その原因はあなたが笑ってるからじゃありませんか?
確かに、いつも笑顔でいられたらそりゃ最高なんですけれども。
無理してまで笑顔でいることに、何の意味もない!
ヘラ笑いから卒業しましょう。
Contents
いつでも笑顔でいることを辞めます
私は「いつでも笑顔で!」「女は愛嬌!」「笑顔でいたら良いことある!」って言われて育ちましたし、
それ以前に「本当に思ってること」を素直に表現して許される家庭ではなかったので、
いつしかどんなときでも常に笑顔、
というよりも、気付けばヘラヘラ笑ってることがデフォルトになってた人間です。
このブログの読者さんにも似た方が多いのでは。
笑顔だと思ってるかもしれないけど、それヘラ笑いじゃない?
Σ(=ω=;)ギクリ!!!としたアナタは、要注意ですぞー!
確かにね、辛いことや悲しいことがあっても笑顔でいることで上手くいった時代もあったかもしれません。
戦時中とか、残った女性同士でうまく助け合ってやっていかなきゃってときに、自分ばっかりしんどい悲しいツライとか言ってても、「みんな一緒じゃー!」って感じでしょうからね。
お前だけとちゃうわ!っていう…。
しかも「もっとツライ思いして男の人頑張ってんねん、何で家におる女が文句言えるねん。」みたいなところもあったかもしれないですしね。
まぁ、そんなこと言ったって、「辛いもんはツライ。」で、ええやないか。
って感じなんですけれども。
非難轟々で下手すりゃ命も危なかったかもしれないので、まぁそんな時代だった…ってことで。
でも、時代は変わりました。
もう昭和どころか、平成も終わるって言ってますからね。
何になるんでしょうね、次の元号。
(っていうか、そもそも元号って要ります?西暦だけじゃあきませんか?もうパッと分からないですよ私。)
言いたいことは我慢して、歯を食いしばって耐え忍ぶことが美徳とされた時代は過ぎ去りました。
「いつでも笑顔」でいることで失うものの大きさに、そろそろ気付かなければいけません。
むしろ、ちょっと私も遅かったです。
「つらいときでも常に笑顔で頑張っていれば、素敵な王子様が♡」なんてお花畑なことは、マンガの中でしかありません。
こんなイケメン伯爵と結婚してハッピーエンドとか、マジで現実では起こらないので、ツライ目に遭ってるのに我慢してヘラヘラ笑ってる必要はありません。
(そもそも私たちはドラキュラと人間のハーフじゃありません。)
ニュースを見たときに夫婦で捉え方が違うことに気付いた
先日、セブンイレブンの店長がひわいな言動で女性客につきまとったというニュースを見ました。
私は「しょうもないことする奴だ、もう出歩くな。」くらいの印象で、家事の片手間に見ていたんですが、夫の一言で随分考えさせられることに。
夫「女の子たちも、楽しんでるやん。」
え?
こんなことされて、何で楽しいんよ?
と夫の感覚を疑いましたが、ニュースで流れたスマホ撮影の動画では、確かに女性客2人の声には笑いが混じってました。
私にはあくまで悲鳴や驚きの方が印象強いけど。
どういうことかと言うと、
あんなにどう見ても「嫌でしょ、そんなことされちゃ!」っていう場面でも、笑ってしまうと、嫌がってるとは捉えない人が存在する。
もしかしたらこれまで自分の人生においても、同じことが起こってたのかもしれない。
ということです。
「いやよいやよも好きのうち。」って、なんじゃそりゃー!
いやよいやよは、嫌なんじゃー!!
って思ってたけど、
某大学のサークルの事件のときにも「笑ってたからOK」って何でなるの!?って思ってたけど、
そういうことなんだ!!!
笑ってたら、おっけーなんだ!!!!
女性と男性では共感能力も違うし、ビジネス決断の場では言葉の裏側を読んで汲み取るコミュニケーションとかまどろっこしいことはしないし、YesはYes、NoはNoという意味になる。
それで言うと、何を言ってても態度が「笑顔」だったら、笑顔と書いてイエスと読む勢いで、笑顔は全てをヨシとしてしまうんだ!!!
だったら常に笑顔だなんて怖いこと、早よやめなアカン!!!!
また別の場面では…
また別の場面では、こういうこともありました。
趣味で通っている教室には、気難しいので対応が難しいと言われている管理人さんがいます。
普段は挨拶をして時間を守るというマナーを守っていれば、愛想が悪くても特別何か言われたりすることはありません。
その日は大きな道具を運搬する必要があり、いつもと違う時間に私とは別のメンバーが作業をしていました。
最後に教室を出るときに私が挨拶に行ったら、「今日は何の挨拶もせずに、突然作業を始めた!そんな態度でいいのか!!」と、とてもお怒りの様子。
事情を聴いて「それは大変失礼しました。」と私もひたすらに謝ったのですが、延々と終わらないお説教に、何度も重ねてお詫びの気持ちを伝えました。
後で外で待っていたメンバーに「何があったの!?」と聞かれ事情を説明したら、「メリちゃん、優しいから調子に乗ってバンバン言っちゃうんだよー!」と言われたのですが、
今思えば。
私、ヘラ笑いしてた!!!
ヘラヘラ笑ってるから、相手は「ホントに何で怒ってるのか分かってんのか?」って気持ちになったんだ!
ちゃんと自分が悪かったって思ってるなら、申し訳ないっていう顔になるはず。
だからヘラヘラしてるやつは反省してない!
もっと相手が分かるように言わなければ!!
と、怒りが収まらずに話も終わらない。
何で怒られてるときにヘラ笑いしちゃうんでしょうね。
事なかれ主義で、普段怒り慣れていない証拠ですね。
コミュニケーションのすれ違い
ヘラ笑いで「やめて~!」では、嫌がってることは伝わらない。
むしろ「オッケー」と捉えられる。
ヘラ笑いで「すみません。」では、反省していることは伝わらない。
むしろ、「バカにしている」と捉えられる。
当たり前っちゃ当たり前だけど、笑ってるってことはそういうことなんです。
女性だけのコミュニティーだとこれで成り立ったかもしれないけど、でも相手は自分と全く同じ価値観の人間ではないし、これからは相手が女性だろうとヘラ笑いだけじゃダメ。
波風立たせないことが目的ではない、ということに気付くべき。
ちゃんと欲しいものは欲しい、嫌なものは嫌、不快なら不快だと伝えなきゃ!
ヘラ笑いの『察してちゃん』のままでいたら、大切なところで手に入れたいものは絶対に手に入らない。
むしろ、何考えてんのか分かんない不誠実なヤツって印象で終わりそう。
どう表現するか選択肢があることに気付こう

7つの習慣より
7つの習慣の第一の習慣「主体的である」には、“刺激に対してどう反応するのか自分で選択する”とあります。
何か起こったときに生まれる感情は、コントロールできません。
だけど感情から行動の間にスペースがあって、どんな行動を選ぶかは自分の責任です。
赤ちゃんは、不快だと泣きます。
お腹が空いた、オムツが汚れた、暗くて寂しい。
そう感じたときに「僕が生まれて2ヶ月、ママはあんまり眠れてないのに申し訳ない。20分だけ我慢しようかな。」とか考えませんよね。笑
だけど本来、今の私たちはたとえ不快に感じても、そこでどう振舞うかを自分で決めることができます。
ヘラ笑いをしてしまう人は、どう振る舞うかの選択肢がヘラ笑いしかない状態だと思うんです。
どんなときでもヘラ笑いすることに慣れてしまってるので、悲しいとか怒りとか不快とかあらゆる感情が麻痺してるんです。
だから何が好きで何がしたくて何が欲しいのか分からない。
なぜなら、自分がそうだったから。
そして、ついでに言うと自分の置かれた状況を人のせいにしがち。
自分の感情を押し殺してヘラ笑いしちゃうよりも、ストレートに表現できる赤ちゃんの方がよっぽど人間らしい。(だって人間だもの。)
一度赤ちゃんの状態に返って、スタート地点に戻ってからじゃないと、選択肢があるということに気付くところまでいけないんじゃないかな?
というわけで、『いつでも』笑顔でいることを辞めるんです。
怒りたいときは怒る!
泣きたいときは泣く!
嫌なものにはNo!
まずはここから始めてみましょう。