こんにちは、メリッサです。
他人に合わせるのはやめて、自分が好きなもの・したいこと・楽しいこと・ワクワクすることをするって、実は勇気がいります。
なぜかと言うと、失敗したときに人のせいにできないから。
他人軸で生きていると、何か上手くいかなくても言い訳が出来ます。人にも自分にも。
だけど私は、「他人に合わせるのはもうやめにしよう!」と決めました。
だって振り回されてシンドイし、苦しいし、退屈だし、楽しくないから。
出会う人全てに好かれなくていい、その代わり私の味方になってくれる人には全力で応えられる私でいたい。
必要とされるために誰かの役に立てることをするのではなく、私がやりたいことをしていたら気付けばそれが誰かの役に立っていた、という生き方を選ぶことにしました。
Contents
自分軸と他人軸について考える
自己肯定感を育てようと思うまでの私は、今思えば自分がどう思うかよりも他人からどう思われるかの方が大事だったように思います。
完全に他人軸で、自分の意見<<<他人の意見を優先して生きていました。
好かれたい。
スゴイと思われたい。
できれば、出会う人全員に…。
そんなある日、2:6:2の法則というものを知りました。(2:8の法則ともいう)
簡単に説明すると、自然も世の中も2:6:2の内訳になるというもの。
働きアリのお話が有名です。
みんな忙しく働いているように見えるけど、実際に忙しくマジメに働いているのは2割。2割はサボってて、残りの6割はマジメなアリやサボりアリに引っ張られてどっちにもなれる平凡なアリ。
働き者の2割だけを残して他の8割のアリを排除したら、その中でまたサボるアリが出てきて2:6:2になる。
これは人間にも当てはまるらしい。
職場や部活などの集団だと、優秀な人向上心がある人が2割。サボりが2割。残りはムード次第。
この割合は人間関係でも同じで、自分と意見が合う人・相性がいい人・好意を持ってくれる人は2割。2割はどう頑張っても意見は合わないし、相性悪いし、嫌いだと感じるんです。残り6割はタイミングや雰囲気次第。
っていうことは?
出会う人全員に好かれるなんて無理ってこと。
で、これを知ったときに「意見の合わない2割に対して、(好かれよう、受け入れてもらおうと)努力するのは無駄だな。」と思ったわけです。
ありのままの私でいても私を好きでいてくれる人が2割いるなら、その2割の人たちの方が大切だし、その人のために何ができるか?の方が大切だなと。
残りの6割は、そんな私の様子を見て興味を持ってくれたらラッキー♪程度に考えることにしました。
目指すは、万人受けじゃなくマニア受け!

正反対で共通点のない人に合わせようとしても、難しい。
どう頑張っても好かれない2割の人たち。その人たち相手に何とかうまくやっていきたい!好かれよう!とするからシンドイ。
ならもうその2割はいいや。笑
というわけで万人受けを目指していた私は、真逆に方向転換して、マニア受けを目指すことになりました!
もしも私がピンクが好きと言えば、緑やブルーが好きな人は離れるかもしれない。
もしも私がもっとたくさん仕事したいと言えば、母親は子供を優先して家にいるべきと思う人は離れるかもしれない。
もしも私が空が飛びたいと言えば、空を飛ぶなんて怖いと思っている人は離れるかもしれない。
だけどその代わりに、ピンクが好きで仕事も母も頑張って空を飛んでみたい人は、私を好きになってくれるだろう。
その為に私は、好きなこと・やりたいこと・目指す夢を、ちゃんと口に出して伝えないといけない。
誰かが離れることを怖がって何も言わなければ、ピンクも仕事も空を飛びたいこともずっと我慢して隠していなきゃいけない。
どっちが良い?
自分軸と他人軸
ここで、自分軸と他人軸を分かりやすく飲食店に例えてみることにします。
他人軸はファミレス
他人軸はファミレス。
1組4人なら4種類のメニューに対応すべく、キッチンは料理に大忙し。
値段を抑えるかわりに、味もそこそこ。
ファミリー層もサラリーマンも若いOLも学生もやってきます。
流行に合わせて新メニューを開発し、リアクションを見て改良を重ね、また新メニューを考案というのがエンドレスで続きます。
自分軸は頑固おやじのカレー屋さん
自分軸は頑固おやじのカレー屋さん。
こだわりの肉にスパイスにスープで、メニューは3種類。店主は秘伝ルーの改良にこだわるため、メニューを増やす予定はありません。
クセになる味で、好きな人にはたまらない。
美味しいと聞きつけた人がたまにやってきますが、中には「思ってたのと違う。」という人もいて、全員が2度来るわけじゃない。
でもファンになると、1週間に1度、月に1度、どうしても無性に食べたくなる。
熱烈なファンは応援してくれて支えてくれる、励みになる存在であって、消耗する存在ではない。
そもそもカレーに興味がない人、嫌いな人はやってこない。
だから「何でスパゲッティがないんだ!!」と、トンチンカンな文句を言う人はいない。
自分が居心地がいいのはどっちだろう?
どちらが正解ということは、ないかもしれません。
たくさんの人に満足してもらって、喜んでもらうこともまた素晴らしいことです。
ただ対象が多すぎて自分が疲れてしまうなら、減らしてみるのも良いんじゃない?っていうだけ。
自分はどっちの方が合っているだろう?居心地がいいだろう?どちらでいたいと望むだろう?
それが全てだと思います。
~すべき・こうあるべきなんて存在しない
あなたや私の頭の中には、これまでの経験によって作られてきた「マイ・ルール」があります。
例えば、私の場合は以下のようなもの。
- 年上の人に対しては敬語で話すべき(身内であっても)
- 本音と建て前を使い分けるべき
- ご飯は残さずに食べるべき、好き嫌いなんて言語道断
- 公共の場所では静かにすべき(もちろんエレベーター内も)
- 人に文句や悪口を言ってはならない
もちろんこれ以外にもたくさんの「すべき」や「禁止」があるし、シーンによって使い分けるように細かく指定されている場合もあります。
ご飯は残さず食べなきゃいけない。
だけどそれは1人とか実家での話で、その場にタイプの男性がいるときは腹八分目で「もうお腹いっぱいで入らない~!」と言うとか、ハンバーガーや骨付きチキンのように大口開けるものは遠慮するとか、女子会では色んな種類のものを注文してみんなで少しずつ完食すればOKとか。笑
「ムダ毛はあってはならない」とか「卒業式や感動する映画ではキレイに涙を流す」とか「寒いのは我慢して生足!」とか「奢って貰えそうな場面でも、出します!のやり取りをとりあえず2ターンはする」とか「気になる人からメールが来たら、すぐには返さず少し焦らしてから返信する」とか、こういうのも全部同じ。笑
他人の目を気にして顔色を窺って生きてきた私たちは、こうした数え切れないほどたくさんのマイルールにがんじがらめに縛られて生きています。
窮屈で、退屈で、面倒で、楽しくない。
結局は、自分がやりたくてやっていることではなくて、誰かにそう言われただけのものや、他の人に可愛いとかキレイとか好きとかすごいとか思われたいがためのルール。
つまり、自分に課しているルールなんて、自分次第でどうにでも変化する。
人によって、真逆を言うことだってありますよね。
私が子どもたちに「全部食べなさいよ。」というと、義母は「無理しないで、好きなものだけ食べ。」と言います。
ほらね?万人に共通する「こうすべき」なんて無いの。
だったら自分を縛り付ける不都合なルールは、無くしちゃいましょ!
学校給食はバランス取れているけど、毎日まい食生活じゃないとダメ!ってことはない。
体って不思議で、必要なものを欲します。あー!パワーが欲しい!!と思うとお肉食べたくなるし、疲れたときはチョコレート食べたくなるし、体が疲れているときはすっぱいもの食べたくなります。
他のことも全部同じです。
じゃあ何するの?どうやって決めるの?
これまでの人生を「○○のときはこれすべき」「××の場合はあれすべき」という、細かいマイルールに従って生きてきたあなたは、急に
「疲れたなら、ルールを変えちゃえー!
人が作ったルールなんて要らないよー!」
と言われても、「へ?んじゃどうすりゃイイの?」って、突然放り出された仔犬のように心細いかもしません。
ご主人から離れて、小さな小屋から追い出されて、臭いがついた懐かしい心落ち着くタオルが無くなった。
でもすぐに気が付くのです。
自由だーーーー!!!!
*:+゜・。*ヾ(●´∀`●)ノ*。・゜+:*ワーィ
ってね。笑
何をどうするかは、全部自分で決めます。
自分がしたいこと・楽しいこと・ワクワクすることをします。
「他の人から○○だと思われるから、これを選ぶ」からの脱却です!
やるかやらないか、何をするか、いつするか、どうやってするか、全部自分が「しようと思ったから」する。理由はもうこれだけで十分。
その代わり、これからは失敗したり上手くいかなかったとき、これまでのように誰かのせいにすることはできません。
全部自分で決めたから、その先に自分に起こることは全て自己責任。
食べたいときに食べたいものを食べたいだけ食べる!
と決めたなら、用意されたエサを毎日無理やり食べさせられたワケじゃないんだから、何を食べて将来自分の体がどうなるかは、自分の責任です。
《まとめ》自分は自分の味方であること
きっと、ありのままの私を好いてくれる人たちは、
私が私に興味ない人や私を嫌いな人に対して、無理に合わせようとしていたり、嫌われないようにヘラヘラしているのを見たら、「何してんの?そんな必要あるの?もっと自分らしくして大丈夫なんじゃない?」って言ってくれる。
失敗しても「あなたらしいよ。笑 大丈夫、次また頑張ってみなよ。」って応援してくれる。
全然違う枠に自分をはめようとして苦しんでるのに気付いたら、「それシンドくないの?やめても良いんだよ。」って言ってくれる。
だって、私がもし大好きな人が同じ状況にいたら、そう言ってあげたいと思うから。
だからまずは、自分が自分にその言葉を掛けてあげようと思う。
「あなた変わってるね。」は褒め言葉と受け取ろう。
そんなあなたのことが大好きなマニアは絶対にいる!
自分が自分を好きでいられるように。
自分が自分の味方になって、応援し続けてあげたいと思う。